学生最後の授業
2001年1月16日俺の大学は今日が最後の授業でした。
明日から試験期間になります。ちなみに俺の試験は明後日から。
この時期の学校って、毎年ながらホント人が多い。授業の時なんか、まず座れない。まぁ、普段からこんなにいたら嫌だけどさ。
それと試験前ほど自称友人が増えますね。普段連絡すら取ってないのに、こういうときだけ「ノートある?」とか「教科書ちょうだい」。結構うざいです。
って書くと、この日記を読んでくれてる友人のA君が「俺のこと?」って思うかもしれないけど、大丈夫、あなたのことではありません。あなたは数少ない俺の親友です。国際経済論のノートは18日に渡せるからね。
そう言えば今月8日の成人式で全国で騒ぎがあったけど、あれぐらいで告訴するとか言ってたら、大学の教授は務まらないなって思いました。何人の逮捕者が出ることでしょう。
なにはともあれ、授業と名の付くものから今日でおさらばなわけです。サヨウナラ。
卒論終わったよ。後は・・・
2001年1月15日卒論、終わりました。長かったです。
良くやった、俺。頑張った、俺。
でも、今後の予定も山盛り。
1,ボールペン習字(銀行からの課題)
2,金融データの整理(同上)
3,通信教育金融編(同上)
4,電卓計算練習問題(同上)
5,銀行業務検定税務3級・財務3級(自分の勉強)
1,2,4,5の量はハンパじゃないんですよ。これらを2月いっぱいで仕上げねばなりません。加えて卒業旅行も同時にこなせたら良いな、なんて思っているのは夢の見すぎでしょうか。やっぱり旅行は3月になってからかなぁ。
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大失敗
2001年1月13日昼の11時30分に、新宿で両親と待ち合わせをしていました。うちのオヤジが都はるみの大ファンで、日生会館でコンサートがあるのだという。それに母親もくっついて来るというので、昼食を一緒に食べようということになったのが昨日のことでした。
さて、今日のこと。目が覚めたら待ち合わせの時間。やっべー、即母親の携帯に電話。先に昼食をとってもらっておくよう連絡。遅刻すること40分。昼食をとり終えた両親と合流。
で、5分もせずに両親と別れる。コンサートの時間がせまっていたのだ。俺はと言うと、俺が東京で1番うまいと思っているラーメン屋【桂花】へ。大好物の太肉麺(ターロー麺)を食す。その後、紀伊国屋で銀行業務検定の申込書を貰って帰りました。
うーん、今日も朝5時過ぎまで卒論の追い込みやってたからなぁ。すまん、オヤジ、お母ちゃん。
最後のゼミの授業
2001年1月12日今日は、学生最後のゼミの授業でした。このゼミでの3年間は、あっと言う間に過ぎたというのが感想です。ゼミに入ってすぐに、香港についてのレジュメを作ってこいと先輩に言われ、それこそ死にものぐるいで頑張ったのをつい昨日のことのように思い出します。
本当にあっという間だったなぁ。考えてみれば、ずっと勉強していた気がする。大学受験の時でもこんなにしなかったんじゃないかと思うくらいです。先輩からの過度のプレッシャーで胃が痛くなったこともありました。
授業後、先生に贈る記念品をみんなで相談しました。話し合いの結果、うちのゼミが創設された1976年物のワインはどうだろうかということになりました。結構良いアイディアだと思うんだよね。飲んだ後もボトルは残しておけるし。
なんか、感傷的な気分に浸ってました。
喉が痛いよ〜
2001年1月10日体調がなかなか戻らない。喉の痛みはひかないし、熱も37度5分をキープしてます。
午後から学校に行きました。ゼミの同期とちょいと談笑しました。
今日は体調が悪いので、これで失礼します。
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明けましておめでとうございます
2001年1月9日遅ればせながら、明けましておめでとうございます。
いやぁ、久しぶりの登場になってしまいましたね。前回書いてからほぼ3週間も経ってしまったのですね。本日9日、地元から帰ってきました。予定よりも4日ほど遅れました。ちょいと風邪をこじらせて、注射を2本うってもらいました。まだ頭がガンガンしますが、それでも明日から授業だから仕方ない。
では、地元での出来事をプレイバック。
まず12月21日、おばあちゃんが大腸ガンの手術をしました。ちょうどその日は銀行の研修があって高崎に行っていたのですが、手術前の朝6時に顔を出して、研修が終わってからも病院へ向かいました。手術後だから集中治療室に入っていて、おばあちゃんはまだ麻酔で意識がありませんでした。
それから毎日のようにおばあちゃんのところに通いました。家と病院を何往復したことでしょう。満タンだったカローラのガソリンが、3日でなくなるほどでした。
その間、おばあちゃんの酸素吸入マスクが取り外され、鼻からチューブが抜け、お腹から管が取れ、点滴が一本また一本と抜けていく様をみていると、おばあちゃんの回復具合が本当に目に見るように分かりました。人間の治癒力ってすごいですね。
こんな感じだから、クリスマスや正月なんて、あってないようなものでした。クリスマスは過ごす相手がいないから仕方がないけど、今年の正月は「ザ・正月」という感じがしないままに過ぎ去り、あっという間に弟の成人式となって今日に至りました。
ながながと書きました。
読んでくれているみなさん、本年も宜しくお願いします。
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また徹夜しちゃったよ
2000年12月17日インター大会が無事終了しました。
内容的には昨日と同等なので、改めてここに書くことはしませんが、後輩の3年生は消化不良だったに違いない。
インター終了後、見学に来た2年生の後輩達も含めて、打ち上げをしました。1次会で3年生は別個で飲みに行ったので、2年生を連れてカラオケへ。カラオケで熱唱すること2時間。11時30分になったので、そろそろ帰ろうかというところに、3年生から「合流しないか」という誘いの電話が。しかも俺達がいたカラオケ店で朝までオールだって。そこで俺のした返事は「いいよ」。朝5時までカラオケっちゃいました。合計7時間強。喉が痛いです。声かすれてます。最後の方は声が出てなかったです。
ちょっと早いのですが、冬休みのため地元に帰ります。帰省中といっても、論文を打ち込みしに何回か帰って来るんですけどね。
でも、卒論作成や会社の勉強会などもあって、せっかくの学生最後の冬期休暇なのに、心が安まることがありません。
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インター 初日
2000年12月16日おはようございます。ただ今16日の朝の8時前です。後輩のインターの勉強を見に行ってきました。しかもさっきまで。後輩の家がある千歳船橋まで行ったのが15日の夜9時。もちろん寝てません。
これから風呂に入って、インター会場である明治大学まで行きます。
インターについては今晩の日記で。とりあえずカキコ。
ここからは16日の夜の日記。
議長団の仕事は、討論の円滑な議事進行。副議長の俺は、勿論議長のサポート。といっても、議長も書記もウチのゼミの同期なんですけどね。
対抗パートは松山大学、龍谷大学、熊本県立大学であるが、そろいもそろってバカばっか。討論になんかなりゃしない。助言講師についてくれた新潟大学の先生も大目玉を食らわせた。
そんな中、唯一誉められていた後輩が、逆にかわいそうになった。俺達を夜呼び出し、自分たちの弱点を探るために「後輩の意見」を俺達に徹底的に否定させ、その弱点を改善するためにインター当日を徹夜で迎えた後輩。お前ら良くやってるよ。俺も良くやったけど(笑)。
しかし部門全体という見方をすると、去年の俺達の時も寒かったけど、今年は雪が降ったみたいだ。悲しいかな、相手パートが「東京見物」位の気持ちで来ているのは見え見えで、議長団の俺達に向かって論点(7つある)を16日だけで全部やってくれという注文を出してきた。勿論、そんなの無視するつもりだった。しかし、「本部から出来るだけ尊重してやってくれ」という通達を受けていたので、明日12時30分からの予定を、2時間繰り上げた。ほんとはあんな奴らは、インターに参加する資格などないと思うんだけどな。
ということで、明日もインターに行って来ます。
IBJ
2000年12月14日昨日の日記に書いたとおり、興銀に電話しました。おかげで、分からなかった箇所をキチンと理解することが出来ました。
しかし、釈然としないくだりがあったのです。
実際には金融債(ワリコーとかリッキーとか)の販売は、興銀の店舗数の関係上、証券会社に手数料を払って販売委託をしており、その証券会社販売の売り上げ額は興銀本体での販売額を上回るはずだと記憶してました。それなのに債券部の方が、「興銀自体での売り上げが9割を占めます」と宣ってくれました。んっ、マジで?
早速、全国銀行協会(全銀協)に真相のほどを確認するため電話しました。金額までは分からないが証券会社での販売額が上との解答を得ました。
やっぱりね。内情を知らない学生だと思って見栄を張ったのかなぁ。悲しいよ。ちっちゃいプライドだよ。
また、全銀協との電話の最後に「この電話番号はどちらでお知りになりましたか」と聞かれました。そんなの、雑誌に載ってるじゃん。何様のつもりなんだ。電話を切ってから、すごく嫌な気持ちになりました。知られちゃまずいなら載せるなよ!
彼(彼女)らの対応を反面教師とし、「ああいう銀行員には絶対にならない」と決意を新たにした一日でした。
赤ワイン ドイツ語では「ロト ウ゛ァイン」
2000年12月13日今日は、懇意にしている先生(ゼミの先生ではない)とワインを飲みました(去年も飲みました)。しかも学校の教室で。その為に、先生は授業を早く切り上げるという強引さ。何でもありだね。
その先生には、一年の時から良くしてもらっている。経済原論の先生で、体が不自由なため何かと世話をしていたり、銀行の話(一年の時からそんな話ばっかしてました)を一緒にしていたら気に入ってくれたようだ。
その先生の授業は、もちろん去年までに取り終わっているのだが、今でも授業の合間に顔を出しに行っている。内情を知らない学生から見ると、俺は変な奴に見えることでしょう。
ワインにはパンとチーズが付き物、という先生の方針で、フランスパンとカマンベ−ルチーズを買っていきました。ワインをご馳走になるのだから、それぐらいしないとね。先生も「楽しいね」を連発。俺も楽しかったです、先生。
そうそう、明日、日本興業銀行(もうすぐ「みずほ」)に電話しようかと思ってます。卒論を書くにあたり、どうしても文献では分からない(現在政府が協議中の内容)ことがあって、それでも現状を知りたいと思ったのです。本店に行って直接話を聞きたいのが本音なんですけどね。とりあえず、明日は電話にしておきます。
注 日本興業銀行。通称IBJ。
この銀行、敷居が高いんだよね。行員さんのプライドが高いことでも有名。東大・京大卒がざらにいます。ウチのようなマンモス大学では、普通なら相手にされません。そんなIBJに電話で質問なんて学生のうちしか出来ないと思ったので、決行しちゃいます。
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そろそろ寿命かな
2000年12月12日俺の携帯の機種は、N206S。折り畳みタイプの一番初期のやつです。もう2年以上愛用してます。
その携帯電話の調子がおかしくなってきました。急に電源が切れたり、電源のスイッチさえしばらく入らなかったり、充電しても電池レベルが1つしかつかなかったり。こういうことがここ一ヶ月続いているのです。これって電池の寿命のせいだろうか。
そろそろ買い換えの時期が来ているのかな。でも、もう少しすれば新機種が出るという噂も聞くしな。こういうのってパソコンと一緒で、欲しい時が買い時なんだろう。
インターの議長団が終わったら、考えてみます。
無事退院
2000年12月11日後輩、何と今日退院しました。それで、今俺の家にいます。
後輩の家の中は、嘔吐しまくったまま入院してしまったため、かなり汚れています。片づけたにしても、布団を洗ってしまっているので、眠れないとのこと。新宿でホテルを取ると言っていたので、それならばと思い、ウチに泊めることにしました。
結構元気です、後輩。一時はどうなることかとマジで心配しました。今は、先週のワールドプロレスリングのビデオを見てます。って、寝てろよ。
さて、卒論だ。
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様態は好調
2000年12月10日今日も朝から後輩の入院している病院へ行く。
三重から出てきた親御さんに、現在の様態と今までの概要を伝えた。結局重大なのは、胃腸炎よりも持病の方なのである。それは親御さんも承知のことで、地元の掛かり付けの医者から、これまでの詳しい診療経過をこっちの病院に伝えてもらっておいたという。
昼過ぎに他の後輩に後を任せ、バトンタッチのような形で帰らせてもらった。家に着くと、すぐに眠りに入ってしまった。俺も疲れていたようだ。
夜9時過ぎに、俺と入れ替わりで付き添った後輩からの、明日の予定を知らせる電話で目が覚める。明日は朝から2年生が付き添い、逐次状況を知らせてくれる手筈となった。
親御さんは夕方帰ったらしい。病弱だからといって、必要以上に甘やかさない方針のようだが、それもどうかと思う。俺達がそばにいるよりも、精神的な不安を取り除けるのは家族が一番だと思うからだ。家庭の事情があるのだろうが、やっぱり俺はその方針に不満が残る。
後輩は点滴を2本刺していたが、俺が今日見舞った限りでは体調は良かった。本人も即刻の退院を希望していたぐらいだ。しかし、あくまでも判断は担当の先生に任せた方が良いと言っておいた。少しでも不安な要因があるのなら、無理をせず、この機会にゆっくり休むことが一番だと思う。
どっちにしろ、来週中に退院は出来ると医者は言っていた。今後は大学病院の方へ移り、通院しながら治療を行う方向だ。
付き添い日記
2000年12月9日 後輩が入院しました。それも、8日の夜11時過ぎ。ゼミ長の家で飲んでいた俺達は、タクシーを拾って、速攻で病院へ向かう。
入院した後輩は2年生で、病名はとりあえず急性胃炎ということぐらいしか分からない。朝から検査を受けることになっている。三重県の実家にも連絡を入れると、とりあえずお父さんが来ることになった。
この日記は、いったん仮眠を取るために帰宅した、9日の午前3時30分に書いてます。少し仮眠をとって、8時前には後輩のそばについていようと思います。三重から出てきて急に入院ということになったら、すごく心細くなると思う。俺に出来る事といえば、そばにいて不安要因を少しでも取り除いてあげることくらいだろう。
とにかく、検査の結果が出ないことには詳しいことは分からないが、おおごとな事態にならない事を祈る。
で、ここから9日の11時過ぎに書いている日記。
仮眠を取った後、タクシーで入院先の病院へ。
朝の8時ちょっと前に着く。病室の後輩は寝てました。
担当医に話を聞くと、2日間嘔吐しっぱなしのため脱水症状を起こし、もとから持病のために飲んでいた薬もはいてしまっていたらしい。恒常的に取っていた薬を急にやめたため、体がショック症状を起こしたのだという。
家族の方から、明日来るという電話をもらった。以前からも、こういうことはあったらしい。生来からだが丈夫な方ではなく、小さい頃から入退院を繰り返していたと言っていた。
また、明日も付き添いに行って来ます。
入院した後輩は2年生で、病名はとりあえず急性胃炎ということぐらいしか分からない。朝から検査を受けることになっている。三重県の実家にも連絡を入れると、とりあえずお父さんが来ることになった。
この日記は、いったん仮眠を取るために帰宅した、9日の午前3時30分に書いてます。少し仮眠をとって、8時前には後輩のそばについていようと思います。三重から出てきて急に入院ということになったら、すごく心細くなると思う。俺に出来る事といえば、そばにいて不安要因を少しでも取り除いてあげることくらいだろう。
とにかく、検査の結果が出ないことには詳しいことは分からないが、おおごとな事態にならない事を祈る。
で、ここから9日の11時過ぎに書いている日記。
仮眠を取った後、タクシーで入院先の病院へ。
朝の8時ちょっと前に着く。病室の後輩は寝てました。
担当医に話を聞くと、2日間嘔吐しっぱなしのため脱水症状を起こし、もとから持病のために飲んでいた薬もはいてしまっていたらしい。恒常的に取っていた薬を急にやめたため、体がショック症状を起こしたのだという。
家族の方から、明日来るという電話をもらった。以前からも、こういうことはあったらしい。生来からだが丈夫な方ではなく、小さい頃から入退院を繰り返していたと言っていた。
また、明日も付き添いに行って来ます。
回顧録
2000年12月7日お気に入りにしている人の中で、何名か教育実習をなさった方がいるようで、私としてはうらやましいかぎりです、はい。
というのも、俺は現役の時(一浪してます)は教育学部に進みたいと思っていて、ゆくゆくは教師になりたいと思っていたのです。特に、中学の国語の教師。あこがれてたなぁ。俺には教師の道しかないってほど思いこんでましたから。
志望の大学は狭き門でした。センターで失敗したことに加えて、たった5名の募集人員。そんな状況で受かるわけねぇっつーの。
浪人したときに1人暮らしを始めて、社会というものを肌で感じた。いろいろあって、銀行員というものを目指そうと思ったのもその時期でした(オヤジも銀行員やってます)。
でも、教職に就くという夢は散ったものの、免許だけは取得したいと思いました。ウチは商学部だから社会科か公民か商業の免許しか取れません。それでも教職課程を履修したのです。今思えば意地というか、過去の自分に対する慰めもあったのでしょう。文学部の校舎まで通って、国語の免許を取ろうという気は、その時にはありませんでした。
しかし、教職の学年末テストの日に祖母のお葬式が重なって、試験を受けられなかったのです。後日教務課に掛け合ったのですが、忌引き届けの期日が昨日までという最悪の状況でした。そこで本当にやる気のある人なら、もう一年同じ授業を履修するのでしょうが、そのころは完全に銀行員の道を志していたので、完全に教職をドロップアウトしたのです。
だから、6月に教育実習にいった友人達の「勉強を教えるのは大変だよ。それ以外にも部活やら何やらで、時間がいくらあっても足りないくらいだ。」という言葉も、俺にはうらやましかった。
志望の会社に入れた俺としては現状に満足なんだけど、やっぱり心残りと言えば心残りなのかなぁ。
インター大会はスーツ着用で参加。そのスーツは実家のクローゼットの中。土日を利用して、取ってきます。その間、日記はお休みになります。
残るは
2000年12月6日簿記を郵送してきました。
結局、友人に分からないところは解いてもらっちゃったんだけどね。ということで、6日現在俺のやるべき事は、卒論とインターの議長団の勉強の2つとなりました。精神的に、ちょっと楽になりました。
うーん、最近疲れてたのかな。眠くて仕方ないんだよね。今日も授業中ウトウトしたし、帰ってきてからも10時過ぎまで寝ちゃうしさ。だから今は頭がスッキリさえてます。
こんな時こそ、卒論の絶好の機会。明日は授業がないので、このまま徹夜しちゃおう。
森改造内閣
2000年12月5日最初に断っておきます。今日の日記は森首相を擁護する意図はありません。あくまでも客観的に感じたことです。
すごいメンバーですな、第二次森内閣の閣僚のメンツ。
首相経験者を2人、次の時代を担うであろう高村を抱えるなどインパクトはでかい(宮沢、高村は留任ではあるが)。その中でも、やっぱり注目は橋龍かな。野中が去ったことで、橋本派の動向を注目していたが、まさか橋龍が出てくるとは。これで森派と江藤・亀井派だけでなく、5主流派が足並みをそろえ、完全に森を支えることが決定したわけだ。
また省庁再編に伴い、巨大な利権が絡んでくる国土交通省に扇千景が留任したことも、見逃してはいけないことだと思う。余計なゴタゴタを起こさないためだ。
この内閣では、橋龍と扇が行政改革に対し、どれだけ剛腕をふるえるかが鍵を握ると思う。世間では短命だとか泥沼内閣だとか言ってるけど、これだけのメンバーを集めたとなると、やりようによっては、結構支持率も回復するんじゃないかな。もちろん、森が余計なことを言わなければという前提があってのことだけどさ。
以上、改造人事について思ったことでした。
そうそう、こんな俺の日記が1500カウントを数えていました。ひとえに、みなさんのおかげです。これからも、出来る限り続けていきたいと思います。
時間に追われる「アリスのウサギ」
2000年12月4日俺の容姿はウサギじゃないけど、タイトルのような状態です。というのは、銀行に出す簿記の通信教育の期限が迫っているのです。いつも俺はせっぱ詰まらないと行動できない。
もう、ワケわかんないよ。試算表?なんですか、それは。精算表?勝手に精算して下さい。そんなこんなで、学校の図書館で電卓をパチパチ。
話は変わって、昨日のインゼミ大会の後、同期の2人と飲みに行った帰り、家の遠い友人が俺の家に泊めてって言ったんだけど、泊めたら絶対簿記が出来ないと思って、素っ気ない態度で「帰って」の一言を発してしまったことを後悔中。仲良いんだよね、あの人と。あんなムゲな言い方しなくても良かったのに。ああ、ごめんね。でも、俺の心情もわかってよ、カスカビアン。
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